従来、筆者は15世紀末のネ-デルランド画家ヒエロニムス・ボスを中心に研究をすすめてきたが、その画像研究の過程で広く民衆に流布した版画中に、そのイメージの源泉をみることが少なくなかった。さらにボスの没後は、今度はボスの図像が版画になって各地に流布し、多くの画家のイメージの源泉となる。そしてネ-デルランド版画はやがてスペインやポルトガルを経由して、はては日本にまでもたらされ絵画として大画面に写されてゆく。その意味ではボスの祭壇画と桃山・江戸の屏風絵がひとつの糸で結ばれることにもなる。この場合「版画」を美術のメディアというよりも、むしろ徹底した情報のメディアととらえることが必要で、それによって従来の研究に新たな方向が開かれると考える。16世紀ネ-デルランド版画は、共通言語としての国際性と語彙の豊富さからみても、「辞書」としてはふさわしい。そしてこれらの辞書を図像のテーマ別に整理をしたのち、我が国の浮世絵版画との比較研究へと移った。そのさい重要なのは、両者に共通な図像上のテーマを見いだすという点である。私は以前、「放蕩息子とかぶき者」という比較を試みたが、それは近世版画に共通して登場する日本とオランダの人物像の比較図像学的考察であった。それらはともに当時の風俗が生み出したと言う点で、民衆版画にふさわしいキャラクターであったが、同じく都市化した情報社会という共通基盤から登場した図像である。今回はさらに同時代の近世版画の主題として出てくる「いかさま師」の図像をことにネ-デルランドでの作例について詳細に分析・考察した。浮世絵の同主題の扱いについての考察は今後の課題としたい。
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