今年度は、7月に、昨年度に引き続き、沖縄の現地調査を行った。とくに、沖縄市で行われた「ピ-スフル・ラブロックフェスティバル」についての調査を行った。このフェマスティバルは、沖縄中部の市町村が協賛して行われているいわゆる地域おこしの一環である。戦後の沖縄にアメリカ軍が駐留することによって、いわば外在的にもたらされたアメリカの大衆文化が、まったくことなる文化的な伝統をもつ沖縄でどのように受容され、定着したのか、また、逆に受容にはとのような限界があるのかを考察するうえで、すでに15年も続いているこのフェスティバルは重要な意味をもっているといえる。 この沖縄での現地調査をふまえて、97年度の日本ポピュラー音楽学会の金沢大会で、本研究に一端を報告した。この報告では、とくに、沖縄におけるアメリカの大衆音楽の受容は、一見すると文化的な多様性を実現しているようにみえるが、実は、かならずしもそうとはいえず、復帰前までは、特にライブハウスでのロック音楽は米兵中心であり、沖縄現地の人々とロックとの接点は極めてわずかしかなく、それが70年代になり、日本国内のレコード会社によるオキナワン・ロックのりリ-スと「紫」「コンディション・グリーン」といったバンドのヒットによって、本土経由でオキナワン・ロックが逆輸入されるといった傾向があったことなど、文化伝播における音楽産業の機能について、報告した。 本年後半は、沖縄現地でのインタビュー、資料等を整理し、最終報告書作成を行った。
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