現代における死生論、霊魂論に関して、大きな事件が二つ起こった。阪神大震災とオーム真理教事件である。 阪神大震災は、近代都市の直下を襲った初めての地震であり、六千名余りの生命を奪った。とくに、インナーシティの老朽住宅群に集中した被害は、一瞬の間に目の前で家族の命を飲み込んでいった。生活の再建も非常に困難であり、厳しい状況の中で肉親喪失の悲しみを乗り越えていかなければならない。そのような被災者への直接のインタビュー調査を行い、地震直後の救助と避難の実状、遺族の気持ちを収録していった。 一方、オーム真理教事件は、予想もしなかった陰惨な結末にいたった。青年を中心とする「魂なき時代」の精神風景を凝集させて表現したといえる。能力主義時代の「超能力」願望と「科学的」修業、神智学的「霊魂」論の観念的理解による殺人の正当化、閉鎖的教団組織のなかでの「解脱」競争と出世競争。これらのことを四半世紀前の「大学紛争」と比較しながら、その異常、超常、正常を分析した。 これら二つの現代的な問題の歴史的位相を再認識するために、長崎県五島灘にある離島の祭祀慣行を調査し、そこにおける天と地、山と浜の二元論的な空間構造を分析した。 社会学の古典における霊魂論的展開を追う作業は、まだ緒についたばかりである。ここでは、ジンメルとデュルケムの魂論を要約的に対比させてみた。
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