7年度における本研究の主な作業は、詩人で、豊後佐伯藩士中島子玉の全著書の所在確認と、その閲覧および複写を開始することであった。大分県佐伯市教育委員会の管理下にある子玉の自筆稿本群(佐伯市立図書館)と、九州大学中央図書館及び国立国会図書館等東京の公共図書館や大学図書館で所蔵されるものを相当量調査し複写した。子玉は、二十代前半を江戸昌平黌の留学に当てたが、その間を裏付ける資料を渉猟し、整理した。昌平黌について、筑波大学附属図書館に現存する儒員の公用日記35冊を複写し、解読に努めた。子玉が昌平黌書生寮の詩文係りに抜擢される背景に、書生同士の殺傷事件があったが、この事件の解明を通して文政期昌平黌の有りようをも探った(「昌平黌北寮異変」(『江戸文学』14号、7年発行)。また佐伯市に現存する子玉宛の名家書簡九通を翻字し、それぞれに注釈を付し「中島子玉の半径」(『懐徳』64号、8年1月発行)として紹介した。 8年度の作業は、主として前年度の継続であったが、子玉による編著の校訂を終え、その周辺で当時書生であった数人の著作調査へと視野を広げながら、書生たちの動静を中心とする文政期昌平黌の総合年表に着手した。終年、調査を重ね、大量の佐伯藩政史料の解読を持続しながら、子玉の文学的営為との関連を考察した。
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