日本とアフリカとの交流は、歴史を繙けば16世紀にまで遡る。だが、日本とアフリカの関係性が緊密になっていくのは、言うまでもなく明治に入ってからのことである。 本研究は「日本におけるアフリカ像形成に関する研究」という表題のもとに、明治時代に日本人がアフリカおよびアメリカ人をどう捉えていたのか、またその理解の基盤をなすアフリカ知識はいかなるものであったのかを、明治期に出版されたアフリカに関する書籍、報告書、記事雑誌の渉猟、調査から探ろうとするもので、情報の集積と整理に主眼を置き、文献目録の作成を第一義的目的とした。それを基に、もっとも大衆に支持されたと思われる作品を取り上げ、アフリカおよびアフリカ人がどのように描かれたかを検討した。 作成した文献表はあえて分類せず、時系列順に並べた。そのほうが、一般的な十進法分類よりも、質的、量的変化が把握しやすく、分析しやすいと判断したからである。当初アフリカ文献の検索は、アラブ圏アフリカを除く、サハラ以南の黒アフリカを中心に行なう予定であったが、明治時代には文化圏による区分が一般的ではなかったことを考慮に入れ、北アフリカを含む地理上のアフリカ全域をその範囲とした。 アフリカ文献表を一覧して言えることは、日清戦争を契機にアフリカ関連図書の出版が激増したことである。また、質的にも変化があらわれ、それまで、アフリカを舞台にした小説やアフリカを舞台に活躍した人物伝の翻訳が主流であったのに対し、日清戦争での勝利後は、アフリカが日本にとっての植民地経営の研究対象となったことである。 今回の研究では、当初予定していた、日本人の粗悪なアフリカ(人)イメージの源泉となったと考えられる、明治期に翻訳された冒険・探検譚の原典との比較検討にまでは至らなかったが、今後の課題として引き続き取り上げていくつもりである。
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