19世紀末のイランにおける「在来」金融業者と外国系銀行---イギリス系のペルシャ帝国銀行とロシア系の割引貸付銀行---との関係について、下記の諸点が明らかになった。 1.「在来」金融業者の事業の規模がかつてないほど大きなものとなったが、外国系銀行には遠く及ばなかった。 2.「在来」金融業者と外国系銀行との間で大きな規模の取引が行われた。たとえば、ハ-ジ-・ホセイン・アーガー・アミ-ノッザルブは、ペルシャ帝国銀行に対して30万3000トマーン、割引貸付銀行に対して190万7000トマーンの債務を負っていた。 3.割引貸付銀行は、ペルシャ帝国銀行との競争に打ち勝つため、有力な貴族・商人・地主・僧侶に、然るべき担保なしに巨額の資金供与を行った。 4.割引貸付銀行は顧客の返済能力を審査せずに巨額の貸付を行った。1906年に同行が貸付金の返済請求をした際、顧客の大多数は支払不能状態にあった。 5.ペルシャ帝国銀行は、「在来」金融業者による小切手の発行をやめさせるよう、イギリス公使館を通じてイラン政府に圧力を加えた。 6.ペルシャ帝国銀行は、外国為替相場形成における自らの支配的地位を利用して、「在来」金融業者に大きな影響力を行使した。 7.このようにして、多くの「在来」金融業者が破綻した。
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