中国正史の東夷伝および北狄伝にみえる建築関係の記載については、すでに集成を完了し、論文を発表した(浅川「正史東夷伝にみえる住まいの素描」「文化財論叢II」奈良国立文化財研究所40周年論文集、1995年:p.795-819)。馬韓、勿吉、靺鞨などが土葺きの竪穴住居をもち、特に勿吉・靺鞨系の竪穴住居は屋上から刻み梯子で出入りするタイプの竪穴住居で、アリューシャン列島のアレウト族、カムチャッカ半島のカムチャダール族、北米のトンプソンインディアンなどの竪穴住居とほぼ同じものと思われる。一方、東夷伝における倭の記載に竪穴住居の記載はまったくないが、『風土記』にみえる「土蜘蛛の土窟」という描写や、各地で発見されている焼失住居からみて、日本各地にも土葺き屋根をもつ竪穴住居が存在したのはあきらかで、馬韓、勿吉、靺鞨との連続性を確認できた。また、南方的な文化要素とみなされがちな高床建物についても、「晋書」粛慎伝と「随書」室韋伝に夏の家としての「巣居」、「三国志」高句麗伝には高床倉庫の描写があり、北方的な視点から系譜を再考する必要のあることがわかった。
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