胎児の発生過程において、受精卵の着床から胎盤形成期にかけての絨毛細胞は活発な細胞分裂と子宮内膜への侵入という癌細胞に類似した性質を示す。この時期の絨毛細胞の機能にはras遺伝子などのいわゆる癌原遺伝子が重要な役割を果たしていると考えられる。胎盤絨毛由来の癌細胞株は正常な絨毛細胞と同様の性質がかなりの程度保持されているため、絨毛細胞の生物学的研究に広く用いられている。本研究では絨毛癌細胞株CC1に活性化H-rasないしK-rasを導入、発現させて、ras遺伝子が絨毛細胞の機能に与える影響を解析した。この結果、H-rasを発現させた細胞は発生初期の絨毛細胞に類似した形態を示し、一層の細胞層からなるドーム状の構造を形成することがわかった。物質の能動輸送に関係する酵素であるNa^+-K^+-ATPaseの活性を測定したところ、H-ras発現細胞ではK-ras発現細胞や対照CC1細胞よりもNa^+-K^+-ATPaseの活性が明らかに上昇していた。これらのことから、細胞層表面から培養皿との接着面に向かう一方向性の物質輸送の亢進がドーム形成の原因であることが示唆された。次に、rasを絨毛細胞の重要な機能であるヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)分泌との関係についても解析したところ、K-ras発現細胞でhCG遺伝子の転写上昇とhCG分泌の有意な増加が認められた。H-ras発現細胞ではhCG分泌能に大きな変化は見られず、hCG分泌にはK-rasが促進的に関与していることがわかった。 本研究から、ras遺伝子が絨毛細胞の一方向性の物質輸送やhCG物質などに重要な役割を果たしており、しかも絨毛細胞の中でH-rasとK-rasが使い分けられていることが明らかになった。
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