本邦には真珠や螺鈿技法で加飾された美術工芸品が時代を超えて数多く伝存している。これらは劣化によって当初の姿を留めていないものも少なくなく、修復の手が加わった遺品も容易に探すことができる。本研究では、これらの素材並びにこれらと同様の光彩を放ち類似の微細構造を有する玉虫翅をも対象に、保存対策について科学的検討を加えた。 まず、劣化現象の調査方法の検討についてであるが、蛍光現象、蛋白質、アラゴナイト結晶積層構造、結晶の微粒化や溶解、結晶型の変異、結晶の無機成分などの点について考察した。とくに新規性のある知見は得られなかった。材質劣化については新規に導入したキセノンランプ光照射による促進劣化試験などを実施した。ここでは玉虫翅で興味深い結果が得られた。要約すると、玉虫翅の発色はキチンの螺旋積層構造による光の選択反射により物理色として現われたもので、耐光性は比較的高いと考えられたが、光照射によって色調の変化が観測された。玉虫翅の緑色と茶色部分の差はキチンの螺旋積層構造の差であろうが、劣化前後における分析から含有成分の変化がみられ、そうした含有物質の発色への影響が示唆された。劣化した真珠・螺鈿の資料としてローマ時代真珠ネックレスを取り上げ、微細部の電子顕微鏡観察や化学分析をおこなった。その結果、この真珠は淡水産二枚貝から産出した天然真珠であるが、新鮮な真珠にみられるような固有の光彩が失われ、白濁・黄色化していた。また真珠層は微細化し、かつ剥離現象を起こしていた。これらは真珠層の各ラメラを繋ぎ止める蛋白質コンキオリンが変質し、あるいは失われる程の状況下にあること、それにより同層の深刻な構造変化が発生していることを示唆した。
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