本研究は、全体主義体制と権威主義体制の中間形態(あるいは複合形態)とされてきたファシズム期イタリアの政治史の検討を通じて、独裁の比較・綜合・類型再構築に資することを目指すものである。 1、「全体主義」の検討:全体主義体制と権威主義体制に関する従来の学説やファシストの言説を検討し、以下の結論に達した。(1)2つの体制の違いが国民の同質化を目指すかどうかという未来像の違いによるものである以上、ある体制が全体主義であるかどうかは、その現状ではなく、その体制の描く未来像によって判断するべきである。(2)ある体制が国民の同質化を目指していたとしても、その体制の現状や全体主義の「完成」に至るまでの道筋は多様でありうる。(3)1920年代のイタリアでは、新世代にはいわば全体主義的、旧世代にはいわば権威主義的に対応し、世代交替によって全体主義化が完成するのを待つ姿勢が顕著だった。 2、地域政治の展開とサブリーダー:トスカーナ州のマッサ・カッラーラ県とルッカ県を主な対象として研究を行い、以下の結論を得た。(1)ファシスト・サブリーダーの多くが支配地域での内紛を経験しており、また、支配地域の経済・社会問題を解決できるだけの独自の資源を保持してはいなかった。(2)彼らにとって中央とのパイプを強化し、あるいは自らが中央で重要な地位につくことは、地域支配を維持する上できわめて有用だった。(3)サブリーダーの多くは運動組織化以外の技能や経験が乏しかったため、青年・教育・スポーツ政策の領域に活躍の場を求めることになった。
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