ハンナ・アーレントの活動論と判断力論について研究を行い、包括的な枠組みを模索した。第一に、活動論につらなる系譜として、有名なギリシア的公共性にかんする議論を検討し、同じ題材にかんするニーチェの議論と比較することで、その把握を試みた。第二に、判断力と注視者という概念について、よく指摘されるカントの影響をさぐった。第三に、通常の政治と異常なる政治という、政治理論における区分について、アーレントとの関係を視野に入れながら調査した。 全体としては、さまざまな議論があるなかで、アーレントの思想にアプローチする最良の方法は、社会学的なものであると思われた。バーガー=ルックマンの『日常世界の構成』にあるような、社会制度の成立を内側から眺める議論が、同時に彼女の中心思想でもある。アーレントの思想を把握するキーワードとして、公共性の現象学、自由の現象学といったものを耳にすることがあるが、ポイントは、すべての場合において彼女がすでに存在する制度や経験の分析を主要な目標としていたということである。一見矛盾に満ちているが、アーレントはこの点において常に裏手に回る分析家タイプであり、特定の立場や主義の積極的な提唱者ではない。アーレントが、「右か左か」、「アンチ近代かプロ近代か」といった論争が生じるのも、アーレントの「すべてを記述したい」という衝動に解釈者が振り回されているためであると思われる。われわれにとって重要なのは、アーレントがなぜ特定の対象に興味を持ったかであり、それをさぐるのは解釈者の仕事であろう。筆者としてはワイマール期のドイツの経験が彼女の思想に影響を与えたのではないかと思う。もっとも、ドイツの課題は、近代社会全体の課題であるということもできる。ここからわかることは、また、アーレントは決して、近代社会の問題に真摯に取り組んだ哲学者の根本的な批判者ではありえないということである。
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