19年度に行ったフィールド・ワークと史料読解から明確になったことは、先住民地域では警察が教師を兼任していたため、普通行政区で学校制度が想定するジェンダー枠組みではなく、特別行政区であった先住民居住地域における警察制度が持ち込むジェンダー枠組みが、日常における教導を含めた広い意味での「教育」を通じてもたらされたという点を、明らかにしなければならないということであった。 この点を踏まえて投稿論文では、宗主国日本の民衆が博覧会でどのように植民地台湾の女性をまなざしたか考察した。官側の目論見と異なり、民衆は植民地女性をまなざすことで台湾領有を確認し、未開性を「教導」することの正当性を獲得した。これこそは後に植民地警察も持つことになるまなざしであった。 次に、学会発表ではその「教導」の受け止め方について、タイヤル族女性の和服着用の実践から探った。彼女たちは強制されわけでもなく、また「教導」の目標としての日本化という意味で和服を着用したのでもなかった。それはタイヤル性、つまり被統治者として与えられた規範である農耕に勤しむ身体から、統治者側の女性となって、統治から脱することを願う表象であった。 しかし「統治者側」の女性になるとはどのようなことであろうか。このことについて統治初期にコラボレーターとして統治者側で働いたタイヤル族女性が、どのような存在であったのかについて考察した。女性たちは日本がもたらしたジェンダー規範や統治年数の短さもあって、統治者側に立っているという認識は浅かった。ここでコラボレーターとなる動機は、生活の改善ぐらいの意味合いでしかなかった。 以上のことから、先住民女性に対する教育とは、警察がもたらすジェンダー規範に乗りつつも、それは「教導」の結果というよりは読み替えによって自らの意思で選び取った生活改善として捉えられていた可能性であったことが見えてきた。
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