本研究の柱の一つは、日本中世における願文執筆活動を明らかにすることである。その研究の始発として、中世菅家の礎を築いた菅原為長(1158〜1246)に着目した。実用的・幼学書的性格を有するものが多く、作女集・作例集の存在も留意される希長あ著作のうち、子孫・後世に影響を与えたと考えられる願文集である『菅芥集』(『続群書類従』所収「願文集」の本来の書名)を取り上げ、各願文を読み解くことによって為長の執筆活動を明らかにし、さらには願主ならびに供養対象者の伝記史料して位置付けをおこなった。 具体的には、八条院三位局が願主となり笠置寺を供養の場とした願文に対し、三位局と以仁王との間に生まれた男子に対しての文言について特に取り上げ、その背景を明らかにした。さらに、願文作者である為長と願文執筆を依頼した願主の関係についても言及した。以上の考察については成稿化をおこなった。また、為長が『平家物語』作者に仮託される遠因となったと考えられる書写山との関わりについて、『菅芥集』の願文から新たに知られた事実を明らかにし、口頭発表した。 また、願文作品が生み出される背景となった寺院における調査・研究に携わった。京都小野随心院聖教調査(研究代表:大阪大学・荒木浩教授)に参加し、特に随心院所蔵聖教の中でも古写本である『別尊雑記』に注目し、鎌倉後期の高山寺十無尽院第三世にあたる恵林房経弁の書写活動について報告をおこなった。さらに、以前より考察を試みてきた『観音冥応集』をめぐり、日差山宝泉寺(岡山県倉敷市)に伝わる縁起や、開祖である報恩大師との関わりについて、それぞれ考察を試み、論文化した。
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