研究課題のうち、特に歌人兼好周辺の、この時代の神官・僧侶の歌壇活動に関する考察を進めた。 まず、兼好の家集に見える伊勢神宮祭主大中臣定忠をはじめとする、伊勢の神官と僧侶が十六名参加した『伊勢新名所絵歌合』に関する伝本調査を進めた。そしてい特に本歌合参加者の円親について、『光明寺文書』に基づく新たな考察を踏まえ、本歌合の成立背景を視野に入れた歌合開催の意図と新名所設定に関する研究成果をい和歌文学会第五十三回大会で口頭発表を行った。この発表に基づき、本歌合において新たに設定された八つの新名所が、どのような背景をもとに設定されたかについての研究を更に進めるため、十ケ所の各新名所について実際にフィールドワークを行った。例えば、大沼橋については、『類従神祇本源』に石根社の西に大沼という地があったという記載があり、御巫清直の『歌合画題新名所考』で、当時俗に「岩社」と称する地が石根社に該当するのではないかという考察がなされており、その可能性が考えられるため、現地踏査によって、今でも現地在住の方々が「岩社(いわやしろ)」と称する大きな岩があることを確認し、大沼橋の設定された位置を再考察するに至った。この点は、現地踏査をもとに本歌合の各新名所を考察された中川梵氏の「『伊勢新名所絵歌合』名所考」(『松阪女子短期大学論叢』二六、一九八八年二月)」では触れられておらず、推定地を改める結果となった。特に、『伊勢新名所絵歌合』の註釈を行うにあたり、その前提となる成立背景や名所選定の意図に加え、地理的な関係性に踏み込んだ和歌の考察を行う一助となる成果を得ることができた。 また、この時代に兼好の属する二条派との関係を深めい大きな歌壇を形成していた三井寺歌人の鎮守社歌合の考察を行い、韓国日本学聯合会第5回国際学術大会において、口頭発表を行った。
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