日本浄土教における中世神道理論の受容と形成の過程を解明すべく、浄土宗の学僧・了誉聖冏の神道著作である『麗気記拾遺鈔』『麗気記私鈔』『麗気記神図画私鈔』(以下『拾遺鈔』『私鈔』『神図画私鈔』)の研究を行った。 まず『私鈔』『神図画私鈔』の研究をおこなった。『麗気記』には「神体図」という図像だけの巻を中心として多数の図像が描かれている。『私鈔』『神図画私鈔』には、神体図に関する数多くの註釈が記されており、聖冏が神体図を重要視していた。そこで、両書の「神体図」に関する註釈を抽出し考察を加えた結果、聖冏が、神体図の多くを「重如月殿」という図像の展開形と考え、さらに、両部不二という伊勢神宮の深秘の象徴としていたことを明らかにした。これにより聖冏の註釈が、神学と呼べるほどの思想的営為であったことを明らかにすることができた 次に「神体図」をめぐる諸註釈に注目して研究を行った。『麗気記』には、神体図に関する説明がほとんどないため、註釈者によって解釈にかなりの差異が見られる。そこで、聖冏と、ほぼ同時代の天台僧良遍の註釈を比較検討し、中世学僧の神体図受容のあり方について考察した。その結果、註釈が図像の配列に影響を与え、また逆に、所持する図像の配列により註釈が影響を受ける場合があったこと、神体図が、本文や儀礼とならぶ『麗気記』の重要な構成要素であり、様々な人々によって、図像に関する秘伝が形成されていた可能性を指摘することができた。 以上の成果の一部は、学会での口頭発表として公開し、論文での公開を予定している(投稿中)。
|