本研究は、宋代華北の武将楊家一門を題材とした「楊家將演義」を端緒に、金元華北の多種族混在の軍事社会が明刊通俗戦記小説の形成過程に如何に関与していたかを検証するものである。「楊家将演義」を中心視座にすえ研究を進めていった今年度(H19)は、まず、楊家将の末裔である播州楊應龍の戦乱を題材とした『征播奏捷伝通俗演義』を手がかりに、その作中と周辺に見える楊家将故事に関連する記述と情報を検証していった。結果、当該小説が江南における楊家將故事人気に強い影響を受けて出版された事を解明し、金元華北地方の軍隊の度重なる移動によって波形状に江南に流布していったと推定される楊家将故事が、明代になり他の白話小説の出現に深く関与していたという新知見をえた。この事実は、明代白話小説の出版中心地であった江南で、『水滸伝』や薛仁貴、劉知遠故事等の北方系物語が人気を博していた要因を解明する糸口に繋がると考えられる。本成果は、2007年8月に中国で開かれた「2007明代文学与文化国際学術研討会曁中国明代文学学会(籌)第五届年会」で「試論《征播奏捷伝通俗演義》之形成和其背景」として口頭発表した後、2008年2月刊行の『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第五三輯に論文「時事小説『征播奏捷伝通俗演義』の成立とその背景-もう一つの「楊家将」物語」として纏めた。更に、文物調査の方面から資料収集を行うため、2008年3月8日〜18日には、山西師範大学戯曲文物研究所の協力の下、楊家一門の故地である山西代県の楊家祠堂を調査し、現存する楊家将関連の二つの元碑を検証した。同時に、山西南部の臨汾、洪洞、候馬、稷山では、明代小説の発展と密接に関わる金元の戯曲関連文物を多く実見調査した。この成果はH20年度に二つの元碑の検証結果等と合わせて論文に纏める予定である。
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