19年度において、計画通りに、欧米国際法に対する日中両国の受容姿勢の全体像を把握するための基本的な枠組みを築いてみた。ただし、国際法のすべての分野にわたって考察を行うのが無理なので、その最も基礎に当たる部分-戦争観-の受容過程に重点を据えて研究を進めていた。 西洋については、19世紀国際法大家の著作を中心に読み漁り、当時主流的地位を占めたいわゆる法実証主義と無差別戦争観の実相を探り出してみた。 日本については、幕末からの外交文書、政府要人の回顧録、在野知識人や国際法学者の著作を渉猟した。それに基づき、彼等が抱いた戦争観を六つの基準で類型化したうえで、主体別の戦争観の異同、時期別の戦争観の変遷、国際法観と国際秩序観ないし文明観との関連性、戦争観における二重基準などについて考察を行ってみた。 中国については、華夷思想の下での「征討戦争」観から、19世紀の「西洋の衝撃」の下での平等な国同士間の戦争観への転換過程に重心をおき、歴史的分析を行った。中国の伝統的な戦争観は、「文明国による非文明国の征服や開化」という点において、欧米における植民地主義の論理構造に通じる側面をもつことに発見した。 暫定的な結論として、明治日本は基本的に欧米の無差別戦争論を受け入れたが、それが、帝国日本へと変身する契機ともなった。清末中国は、伝統的戦争観を維持しようとするだけに、そこにある自身の位置づけが逆転されたため、辛い思いをした。日中両国の受容過程における差異の発生原因は、タイムラグの問題に尽きるのではなく、むしろ両国の知的体質や、国際秩序のあり方に対する基本発想の違いにあるのではないかと思われる。 本研究は、欧米、中国、日本の三つのパースペクティブの相互交錯の中で、戦争観の問題を、主体別、時期別、国別に考察してみるものとして、この分野での草分けの作業と言えるだろうと考えている。
|