本課題の目的は、これまで差別などの身分に関わる面から研究されることの多かった「かわた」(穢多)を、畿内では村という存在形態をとる点に注目しながら捉え直すことである。ほぼ村落構造と一致する形で展開する彼らの集団としてのあり様を、和泉の事例を中心に検討し、畿内のかわた全体に広げようとする試みである。今年度はその第一段階として、(1)泉州南王子村が村請制村化する経緯、(2)18世紀後期における内部構造の転換、(3)史料調査、(4)かわたをめぐる先行研究、について主な検討を行った。以下順に述べる。 (1)王子村内に居住していたかわたが、南王子村という村請制村となる経緯は、当該地域における太閤検地時の土地把握のなされ方とその後の解消という経過と深く関わっていた。これはかわた村にとどまらない広範な地域社会のあり方を検討しなければ「村」を研究できないこと、また太閤検地がある地域で具体的にどのように行われ、影響を与えたのかを明らかにした点でも大きな意味があったと考えている。これらの検討は来年度論文化の予定である。 (2)南王子村では18世紀後期に全ての基準を村高所持に置く村政へと転換した。これはかつてのかわた身分集団が、百姓村同様の「村」の構造をとるようになる最終的な転換であった。この検討は来年度以降19世紀の村の内部構造を考える上で重要であるとともに、先進地域とされる畿内のかわた集団が結合の軸を完全に村高に置いた事実は、身分集団の変質の事例として意味のある指摘であると考えている。 (3)南王子村は信太郷と生活関係が深いが、その一村である上代村の史料調査を行った。来年度その研究に取り組む予定である。(4)先行研究の整理を順次進めている。今年度は特に社会的弱者という観点から、女性史やジェンダー史についての読み込みを行った。
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