研究概要 |
サンゴ礁コアを用いた古海洋学的研究を行うに当たって,まずは安定同位体分析について時間的な解像力の限界を調べた.乾燥させたサンゴ(Montastrea annularis)のコア試料をそのままミクロトームで削る方法では,試料が割れて精密な掘削が出来なかった.そこで,コアから削りだした柱状試料を氷に埋め込み,-20℃の低温室でミクロトームを用いて切削したところ,50-150μm間隔で試料を削れることが分かった.この方法で得た時系列試料を質量分析器で測定したところ,1週間単位の時間精度で酸素・炭素同位体を測定できることが判明した.また,測定した全長3mのコアの最下部(約300年前に形成)をカソードルミネッセンス法で検査したところ,再結晶の影響は全く認められず,少なくとも過去数百年程度の同位体記録については,続成作用の影響を考慮する必要のないことも分かった. そこで,この研究の主題である「カリブ海での過去数百年の気候変化」を調べる第1段階として,18世紀初頭の小氷河期を代表する6年間(A.D.1700-1705)と現代を代表する6年間(A.D.1984-1989)について酸素同位体比変化を調べた.この結果,δ^<18>Oの年変動幅は両期間共に約0.8‰程度であるが,同位体比の絶対値は小氷河期の方が0.4‰ほど大きく(プラス方向にシフト)なっていることが分かった.この結果から,1)La Pargueraサンゴ礁における年間水温変化は小氷河期においても現代と同様4℃程度であった,2)小氷河期における年平均水温は現在よりも約2℃低かった,ということが分かる.また,酸素同位体カーブの形から,9月〜10月には,約1000km南東にある南米オリノコ川からの流入水の影響と考えられる同位体比のシフト(0.07-0.11‰程度)が認められた. 同上の両期間について炭素同位体を測定したところ、小氷河期の同位体変動幅と平均値は各々1.2‰と-0.86‰であったのに対し,現代での値は各々2.1‰と-2.06‰である.現代の年間変動幅を支配している最大要因は,雨季と乾季における雲量変化すなわち日射量変化であるので,小氷河期において変動幅が小さかったことは,季節的な雲量変化が少なかったためと考えられる.また,現代の年間平均値が小氷河期よりも小さいことは,Suess効果すなわち産業革命以降の人間活動による化石燃料大量消費に伴う大気中の^<13>C濃度低下の影響,と考えられる. La Pargueraサンゴ礁の存在する陸棚を横切る測線で行った採泥では,幅約6kmの陸棚の陸側2/3の範囲からは表層底質試料を採取したが,海側の1/3の部分の海底には堆積物が存在しなかった.採取した表層底質に含まれる石灰質ナノ化石群集を光学顕微鏡で予察的に観察したところ,Emiliania huxleyiと並んでGephyrocapsaoceanicaが優先種であることが分かった.太平洋とインド洋におけるこれまでの研究で,G.oceanicaは内湾や縁海で卓越することが知られているが、大西洋とカリブ海では類似のデータがなく,その原因が不明であった.今回,サンゴ礁に囲まれたカリブ海の陸棚ではG.oceanicaが優先種として存在することが実証され,大西洋・カリブ海でも本種を閉鎖的または沿岸性の海洋環境指標として使えることを初めて明らかにした. 陸棚の外側で行った定期的な各層採水試料のうち,2月〜5月の試料に含まれる石灰質ナノプランクトン群集を予察的に観察した結果,1)その生息数は亜熱帯海域の標準的な値である1000-2000/L程度である,2)群集多様度は極めて高いがG.oceanicaは全体的に少ない,ことが分かった.このデータからも,上で述べた陸棚堆積物中のG.oceanicaの高い産出頻度は,沿岸域に特有の地域的な環境要因に帰因することが明らかである. カリブ海のサンゴ礁における炭素・窒素・隣循環の生物地球化学的な関係を明らかにする目的で採取した,海水と動植物生体試料の同位体組成・有機物・無機元素分析は現在進行中である.しかし,試料を入手してからあまり日数が経っていないため,結果はまだ出ていない.今後1〜2年以内に全ての分析結果を取りそろえ,いくつかの論文として学術雑誌に投稿の予定である.
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