シンガポール華僑・華人の歴史や東南アジアの国際環境を踏まえながら、1950年代以降のシンガポール政府の国民統合政策と、華僑・華人の帰属意識の変容や葛藤を、主に、1954年にシンガポールに創設され、80年にシンガポール国立大学に吸収・合併されてその使命を終えた南洋大学の興亡を中心に分析した。 中国(台湾、香港を含む)以外の地で初めて設立された華語大学(標準中国語を教授言語とする大学)である私立南洋大学は、祖国中国を離れて東南アジアに仕事を求めてやってきた移民が、この地に根を下ろしていく子供たちに華語と中国文化を伝えたいという願いの実現であった。しかし、南洋大学を通して中国の影響が浸透することを恐れたイギリス、隣国のマラヤ連邦、シンガポール政府にとってそれはやっかいな存在であり、南洋大学は「権力に祝福されない大学」となった。シンガポール政府の進めた1959年から63年の「マラヤ化」政策、さらに独立以後の英語による国民統合政策(「華」の排除)のなかで、南洋大学への強引な政府の介入が正当化され、大学創設者は市民権を剥脱されるに至った。華語大学を設立した華人の民族意識は、シンガポールをめぐる東南アジアの国際環境と、政府の「シンガポール行き残り」政策のなかで、存在価値を失わさせられたといえよう。 今後は、より一層研究を深めるために、1950年〜70年代の華人社会の分化にも焦点をあてて南洋大学の創設から消滅までを分析したい。さらに、シンガポールのナショナリズム研究における南洋大学の位置付けにも取り組んでいきたい。
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