鹿児島県大島郡瀬戸内町に属するカケロマ島・与路島・請島の32のすべての集落の、ノロ祭祀習俗に関する聞き取り調査を行った。32の中には人工流出による廃村寸前の集落が2つある。いずれの集落においても、かつてはノロ祭祀が行われていたことを確かめることができたが、それを記憶する人々は70才から80才の高齢になっている。彼らとともにノロ祭祀の記憶は消滅する。今回の調査が、彼らの記憶を記録する最後の機会となった。 調査では祭祀関連の場所(拝所や聖域)などを、ムラ人の立ち会いで確認した。ムラ人の記憶があいまいなために、記録作業が中断することもしばしばあった。 調査全体を通じてだいたい以下のようなことを観察することができた。1)祭場はひとつの集落に1つあるのが原則だが、2つないし3つあるところを確認することができた。2)ノロ不在はノロ祭祀の断絶を引き起こした。3)本土の神社信仰はノロ信仰と融合しながら流入している。4)それに対して主に戦後の新興宗教はノロ信仰を排除する形で流入している。5)戦後いくらか残ったノロ祭祀にはユタが大きく関与した結果、それらは大きく変質したものになった。6)いずれの地区でも伝統的なノロ祭祀は明治期にいったん壊滅したと考えられ、その後は変質してノロ祭紀が再生され、その一部が戦後まで継続されていた。 調査を行った3年間の間にも、集落と集落を取りまく環境は刻々と変化している。話を聞いた老人が何人か死亡し、古い公民館が新築されたり、道路が拡幅されたり、新しく親水護岸ができたりして集落の景観も大きく変わっている。拝所や聖地などもそれと知られないまま、撤去される場合もある。変貌の中から地域再生の光が見えて来ないのが気になる。
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