研究概要 |
鷹山黒耀石原産地遺跡群は、長野県小県郡に所在する。明治大学鷹山遺跡群調査団は、1984年以来、継続して鷹山遺跡群の発掘調査を行ってきた。1991年に、黒耀石の原産地である星糞峠で、縄文時代黒耀石採掘址群を発見した。以下、当該科学研究補助金の対象となる1996年から1998年にかけて行われた、黒耀石採掘遺跡の調査と研究の概要を述べる。 星糞峠から虫倉山斜面にかけての一帯には、現在でも、多数のクレーター状の凹み地形が観察できる。1992.93.98年度にわたって、これらをすべて測量した結果、合計195基の採掘址があることが分かり、約43,000m^2にわたって分布していた。 1995・96年に第39号採掘址を発掘調査したところ次のようなことが分かった。黒耀石の採掘活動は、「竪坑」と私達が呼んでいる穴を地面に掘っていくことで、地下2〜3mに埋もれている黒耀石を掘り出す一連の作業として復元することができる。そして、地面で観察できる一つの採掘址の地下には、縄文人が数十回にわたって『竪坑』を掘って黒耀石を採掘していた痕跡が残されていた。 一方、星糞峠の鞍部平坦部一帯には、深さ約3mにわたって、採掘排土が堆積していた。現在の峠の平坦な地形は、縄文人が行った採掘活動と、そのとき生じた採掘排土が堆積して作られた人工の地形である。1997年、B-1調査区で「竪坑」の形をそのままに発掘することに成功した。この01号竪坑の形は、楕円形状を呈し、深さが約2.5mある。 01号竪坑やいくつかの遺構が発掘されたB-1調査区からは、縄文時代草創期後半の土器が出土した。私達は、鷹山遺跡群における黒耀石の採掘活動が、おそらく、この時期にすでに始められていたと考える。しかし、世界史的にみても、地下資源の採掘が始まった年代としては極めて古く、慎重な検討が必要である。 またB-1調査区では、数万点におよぶ黒耀石の石器群を発掘することができた。縄文人は「竪坑」で採掘した黒耀石をその場で加工し、鷹山遺跡群の周辺の地域に石器の材料として搬出していたのである。黒耀石の加工には「両極打法」が使われていた。黒耀石石器群に加え、台石とハンマーストーンが400点以上、B-1調査区から出土した. 今から約15,000年まえに鷹山遺跡群を訪れた旧石器時代の人々は、星糞峠から崩落した黒耀石を採取し、そして大量の石器を作っていた。一方、縄文時代の人々は、地下に埋もれた黒耀石を採掘し、やはり大量の石器を作ったのである.このように、鷹山遺跡群では、黒耀石の表面採取から地下採掘へという、先史時代の技術の大きな変革の跡をたどることができるのである。
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