(1)東京HIV訴訟の原告訴状を資料として二次感染被害の実態調査を試みた。 二次感染被害者は21人(松田)、内東京HIV訴訟に加わった被害者14人中10人の訴状を調査した結果、原因は主治医の「告知」の遅れと不十分さにあることが判った。 (2)HIV感染被害者と遺族の生活実態と生活支援のあり方に関する参与観察を試み、生活支援プログラムの具体化と実践的適用の試みを開始した。 いわゆる「薬害エイズ」訴訟は、1996年3月29日に「和解」した。 「和解」以前は、感染被害者のソーシャル・サポートの主要な担い手がHIV訴訟原告弁護団、支援者組織、血友病患者会・親の会などのインフォーマル・グループであった。そその後には、国・厚生省の責任で被告製薬企業と協力してフォーマルなソーシャル・サポート・システムの構築を「和解条項」で約束し、その実現が被害者らから迫られている。 報告者らは、被害者支援組織に参加しつつ「和解」後のインフォーマル・グループの活動の変化と、フォーマルなソーシャル・サポート・システムの構築の動向に参与観察的に研究をすすめている。現時点で報告者らが注目しているのは、セルフヘルプ・グループとして「薬害エイズ被害者救済センター」と国立エイズ治療研究開発センターの設立である。特に、「薬害エイズ被害者救済センター」事業の「遺族救済」と「相談援助事業」および「相談員育成研修事業」に関しては、報告者らが当事者らと共同して企画とプロモーターを担当することになっている。このことはセルフヘルプの実現の試みとともに、ソーシャル・サポート・システムの構築を当事者らのニーズに基づき当事者の参画・参加により取り組むことの実験的な意味でも重要である。
|