研究課題
基盤研究(B)
平成8年8月に土佐藩の郷士地帯の調査と資料蒐集を行い、9月に後藤靖が土佐藩の郷士制度の成立と解体の過程について報告と討論を行った。この時、薩摩藩の郷士制度や十津川郷士との比較についても討議が交わされ、山科郷士制度の成立過程の特徴にも触れるところがあった。その後、京都市歴史資料館所蔵の山科郷士関係のマイクロフィルムの撮影を行い、その一部である比留田家・沢之井家文書の複写と仮製本を行うと同時に、京都府立総合資料館所蔵の行政文書の中の山科郷士関係文書の一部の筆者と複写を行った。蒐集した文書を素材としながら、10月には村田路人と後藤が「近世から明治維新までの山科郷士の動向についての概観」を行い、平成9年2月には田端泰子が「中世山科七郷の成立過程について」・京都橘女子大学大学院生岩上直子の「山科郷士の成立過程」の報告と討論が行われた。これまでの史料蒐集と文書の分析を通じて明らかになったことは、山科郷士制度は豊臣政権わけても徳川政権が成立することによって山科が朝廷の領地=禁裏御料となり、山科在住の豪民160戸余が郷士として登用されたことによって成立したということである。郷士は禁裏に対して食糧を提供し、また御所の警護を義務づけられた。しかし、同時にまた、山科地域には幕府の代官所もおかれていたため、幕府の指令にも従わざるをえなかった。だから、山科の農民たちは朝廷と幕府の二重の支配下におかれていたことになる。このような重層的支配関係の実態について明らかにする必要がある。