研究概要 |
ロマン主義は19世紀のイギリス文化を支配する最も特徴的な思潮であるが、その特質を規定する作業は19世紀前半の詩の分野に偏って行われており、ここでは19世紀中期からさらに世紀末まで範囲を広げ、また対象を詩から散文に変えて、考察を行った。例えばヴィクトリア朝を代表する小説を生んだブロンテ姉妹は、シャーロットの『ジェイン・エア』やエミリーの『嵐が丘』といった代表作において、他にあまり例をみない独特の語りの装置、言い換えれば、自己劇化そのものをテクスト化しているとも読める奇妙な語り手を、設定しているが、これは、彼女たちの子供時代、即ちロマン主義詩の最盛期に愛読した『ブラックウッズ・マガジン』に不定期連載という形で掲載されて評判となった『アムブローズ館夜話』に反応した可能性が少なくない。ここではロマン主義的な文学議論を含む架空の談話が、実在の人物をモデルにした仮面によって進行しているからである。また「仮面」を最も積極的に利用したと言っていい世紀末作家オスカー・ワイルドはゾラの自然主義・リアリズム小説を批判したが、そこで「ロマン主義」という概念を持ちだしていることも、これが様々の意味の変容を蒙りながらも19世紀全般にわたって広く流布し、影響力を持った概念であることが分かる。しかし19世紀が典型的な帝国主義の世紀であることを考えると、以上の事実はまたロマン主義精神と帝国主義的精神の隣接性も暗示し、実際、機会仕掛け・実物主義のスペクタクル演出とロマン主義から継承された「驚異の美学」を備えたヴィクトリア朝の演劇空間の実態を調査すると、逆説的に観客の舞台への没入を遮断し,観客に舞台そのものを,劇場そのものを見せる「劇場性」を実現することによって、このような劇場性によって生ずる観客の主体としての位置は,世界を視線の権力によって征服する帝国主義的主体のそれときわめて近づくことが明らかになる。
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