本年度は原敬の国家構想と政治指導を中心に研究を進め、ことに元老山県有朋が、それまで忌避してきた原の首相奏薦を承諾し、原に組閣の大命が下った過程を、山県の外交構想の崩壊と原の国家構想の特質との関係で明らかにした。すなわち、山県は対露同盟のラインで外交の方向を考えていたが、ロシア革命によってその方向が挫折し、かねてから対米英協調を主張していた原を奏薦せざる得なくなり、そこから原は独自の国家構想にもとづいて政策を展開していったのである。つまり、それまでの軍事的膨張政策を転換して、国際協調と政党による国政運営といういわゆる大正デモクラシー期間の政治方向の基本を定めた。この間の山県の外交の基本方向に関する考え方の移り変わり、その構想の崩壊の過程、それを結果したロシア革命と中国内戦の推移とそれらにたいする山県の対応の動機、原の首相就任後の政策展開・政治指導過程とその背景をなす国家構想の詳細などが明らかとなった。浜口雄幸については、おもに民政党総裁就任前の憲政論や経済政策、外交論を検討し、彼がはやくからイギリス型の議院内閣制を志向していたこと、しかし、外交論においては対中国強硬論の立場をとっていたこと、またそのような中国論は、そこを国内での遊資の安定的な投資対象として考えていたことによることなどが判明した。
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