本年度は、昨年度までの原敬の国家構想と政治指導についての研究をベースに、元老山県有朋との比較をさらにおしすすめるとともに、浜口雄幸についての本格的な検討にとりかかった。山県については、これまで知られていなかった原内閣期の外交論がほぼ明らかになった。その内容は、原の外交路線を基本的にはうけいれつつ、むしろ、それまでの自らの外交構想が崩壊し、外交について独自な観点からする全体的な見通しをうしない、欧米諸国の動向にたいして極めて慎重なものであった。したがって、かつてのアグレッシブな志向はまったく影をひそめている。浜口については、田中義一内閣期にすでに後の浜口内閣期の内政・外交の構想ができあがっていたことが明らかになった。すなわち、いわゆる第二次幣原外交や井上財政の基本方向は、組閣以前の浜口の考えでもあり、その考えにそって、幣原・井上を閣僚に任命したのである。たとえば、満蒙問題については、田中義一が、張作霖政権擁護の方針であったのにたいして、浜口は、はやくから国民党による満蒙支配を容認しており、それを前提に、日本の既得権益をできるだけ保全しようとするものであった。また金解禁や緊縮財政なども、浜口はすでに田中内閣期に構想していた。
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