3年間の研究において、まず原敬の国家構想と政治指導を、おもに山県有朋のそれと比較しながら検討した。そこにおいて、原の国際的な平和協調外交が、内政における経済的な国際競争力の強化をめざす戦後経営と密接に関連していること、また山県がそれまで忌避してきた原首班に同意した背景には、その外交戦略の崩壊があったことなどが明らかとなった。つぎに浜口雄幸の国家構想と政治指導を、田中内閣の外交内政との対比において、また同時代の代表的な思想家の一人である柳田国男の構想と比較しながら検討した。そこにおいて、浜口が、早くからイギリス型の議院内閣制を志向していたこと、浜口内閣期の産業合理化政策や金解禁、財政緊縮などの構想は、総裁就任まもなくに出来あがっていたこと、また満蒙問題について、田中義一が張作霖政権擁護の方針であったのにたいして、浜口は国民党による満蒙支配を容認しており、それを前提に日本の既得権益をできるだけ保全しようとするものであったことなどが判明した。そして原・浜口の外交内政にわたる国家構想の全体像を明らかにしえた。さらに原・浜口がともに輸出重視の国家構想のもとに諸政策を展開したのにたいして、柳田国男は政党内閣を支持しながらも、より内部市場志向型の非膨張的な国家をめざす異なった方向を打ち出していたことも提示した。
|