平成9年度は、いっそう包括的な理論化へのステップとしてジャック・デリダおよびハンナ・アーレントの技術論の再読を行った。 平成10年度は、上記の作業を続行すると同時に、本研究の背景にあり、原点の一つでもある情報・経済のグローバル化という状況に立ち戻った。そして、「コミュニケーション」をキーワードとしつつ、20世紀後半におけるコミュニケーション概念の形成に大きな役割を果たしたノーバート・ウィーナーの『人間機械論』と身体の哲学者メルロ=ポンティの思想を対比的に分析した。一言でいうならば、そこにはそれぞれ外側からのコミュニケーション/内側からのコミュニケーションという図式が見られるが、昨今のインターネット批判は後者を重視する立場から行われるものが多い。 『スペクタクルの社会』において、1960年代フランスでいち早く同様の方向から社会批判を展開していたのがギー・ドゥボールであった。ただし、この路線をたどった場合、科学技術は文化や社会への脅威として排除される形になり、科学技術を文化や社会の構成部分として考察する道が閉ざされかねないという難点がある。 こうした閉鎖的な態度に対して<科学技術と異人に対する防衛システムとしての文化>を批判し、警鐘を鳴らしたのがジルベール・シモンドンである。ただし彼が奨励する方向を一方的にすすんだ場合、逆に科学技術至上主義に道を開きかねないことを指摘する必要があるだろう。 3年の研究期間が終了しつつある現時点では、ハイデガー、デリダ、そしてスティグレールにもう一度戻る必要を感じている。資料収集において若干の困難に遭遇したためもあり、研究を収束へと向かわせる時期がやや遅れた。研究成果報告書は、上記の3思想家について再度考察してから提出することにしたい。
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