研究代表者は後期ウィトゲンシュタインの直示的定義の考察、デイヴィドソンの言語論を手がかりに、言語理解を前言語的な所与に還元することは不可能であるということを明らかにしようとした。 ところで、言語の意味の考察は信念の考察と密接不可分である。ある文の意味を与えるためには、何がその文を正当化するのかを規定しなければならず、逆に文の正当化のためには文の意味が規定されなければならないからである。したがって、信念や文の意味を前言語的なものに還元することは不可能であると主張するデイヴィドソンは、『別の信念以外の何ものもある信念を根拠づける理由になりえない」という斎合説を取る。 しかし、このような斎合説を取った場合、われわれの信念がどうして外界の対象についての信念でありうるかという問題が生じてくる。デイヴィドソンの問題点は感性能力を概念能力から切り離したことにある。人間は他の動物と同様に感性能力をもつが、その上に言語能力を習得することによって対象世界が成立すると考えたことにある。しかし、われわれは「概念なき直観は盲目である」というカントの指摘が重要であると考える。動物や人間の幼児はこの意味において盲目であり、言語の習得を通してわれわれの感性は根本的に変容し、感覚的世界が開かれてくるのである。
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