アウグスティヌスが「真理 veritas」と呼んでいるのは、命題の形で語られたことばの真偽をわれわれが判断する根拠のことである。われわれが命題の真偽を判断できるのは、「真理」を知っているからであるとアウグスティヌスは言う。このような真理概念はアウグスティヌス以前の哲学における真理概念に比べるとき、明らかに独創的である。「真理の規準」が何であるかは、ヘレニズム期以後の哲学の共通問題であった。ここで「規準」と訳されているギリシア語kriterionは、われわれが通常予想するであろう意味とは異なった意味に用いられている。すなわち、真偽の区別が可能であるような認識が、「真理の規準」と呼ばれている。たとえば、感覚が真理の規準であると言われるとき、それは感覚という認識が、真なる感覚と偽なる感覚とに区別されうるような認識であることを意味している。このようなヘレニズム期以後の哲学の共通問題をアウグスティヌスは独自の仕方で解釈した。すなわち、規準kriterionにキケロが与えた訳語iudiciumを、「識別を可能にするもの」という通常の意味にではなく、「判断すること」という働きの意味に理解した。われわれの行う真偽の判断は必ず正しいとは限らない。しかし、たとえ誤った判断であるとしてもそれが真偽についての判断である以上、判断の根拠としての「真理」は、われわれに知られていなければならない。アウグスティヌスはこのように考えた。このような真理概念において、認識と区別された「判断」の概念が成立可能になったと考えられる。
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