本研究は当初、清末における伝統的世界像の変動の実態を明らかにする作業の一環として、一八六六年六斌椿使節団以降、八次に及ぶ西洋出使を体験した外交官張徳彝(1854-1921)に注目し、彼における新たな世界像の形成を考察することを目指していたが、研究の進展の中で、研究対象を張とともに初代駐英公使館のスタッフだった出使大臣郭崇〓(1818-1891)と副使劉錫鴻(生卒年末詳)に拡大し、伝統的世界像の変動を三者の文明観と国際秩序観という二つの変数の相関関係として捉えることを構想するにいたった。今年度(2年目)は前半までに三者に関する一次資料(日記、奏稿、その他)および外交文書等の関連資料の閲読・整理・分析にほぼ目処をつけ、後半は上の構想に基づき論文の作成を開始し、題目を「清末初代駐英使節(1876-78)の西洋体験と世界像の変動-文明観と国際秩序観-」、構成を第一節「序説-1878年以前の世界像と初代駐英使節の派遣」、第2節「華夷の接近-劉錫鴻の世界像」、第3節「華夷の逆転-郭崇〓の世界像」、第4節「華夷(唯一文明)から中西(複数文明)へ-張徳彝の世界像」、第5節「結語」とし、3月末現在、ほぼ第2節まで原稿(400字×約85枚)を書き上げた(近く投稿の予定)。またこれとは別に、本研究の過程で明らかになった張徳彝の外交官制度に関する改革論(1890・1893年の意見書)の清末外交論の中での位置、およびその世界像変動との関わりを論じ、上記論文の第4節と相補い合う関係にある別稿「清末の外交官制度論と国際認識」(仮題、400字×40枚程度)の作成も平行して進行中である。 そのほか本研究に一部関連して、9年7月にはアジア・北アフリカ研究会議(於ブタペスト)、セッションVII「中国近代における西洋思想諸概念の受容と変容」(代表・有田和夫東洋大教授)での報告「論中国近代接受freedom概念」を行なった。
|