本研究に言う「自然的神性」とは、何らかの意味で自然性を包摂し、またそれを自らの積極的本性とする神性の観念を表している。元来ユダヤ・キリスト教圏では被造物として下位に置かれてきた「自然的なるもの」が、近代以降の宗教思想のなかで比重を増し、ある意味で神の観念と融合、ないし交替することもあった。--こうした予測にもとづき、本研究では、ドイツ精神史を主たるフィールドとして、自然的神性の思想系譜をあとづける作業を行った。その結果、近現代ヨーロッパ思想史においては、世俗化という意味での「啓示」に対する(自然主義的な)自然の前景化が見られるとともに、むしろ自然に神性をいわば「転移」させた、「自然的救済論」とも言うべき思想系譜があり、これが思想的にも社会的にも極めて大きなインパクトをもったことが確認されるに至った。近現代において自然概念は、啓示や社会や文化といった概念に対抗的な「批判的概念」であると同時に、ある種の此岸的超越と生の充実を約束する救済論的トーンを帯びたのであった。本研究では、1)16世紀の世界像の大転換と近世自然神秘主義における救済論的自然の前景化、2)ロマン主義における汎ピュシス主義の復興と近代批判との関係、3)19世紀未以来の民族主義的宗教思想における反キリスト教的自然思想、4)ヘッケルらの自然科学的「唯物論的宗教運動」と自然の逆説的超越化、5)大戦間期の「批判理論」(ベンヤミン、アドルノ)らにおける自然神秘主義や民族主義批判と、「非同一的なもの」としての逆説的な自然の再浮上、の5つのエポックに重点を置き、自然的神性の系譜を探った。今日のエコロジー運動や、エコロジー思想と霊性思想とのむすびつき、また近代以降の東洋(日本)における西洋への宗教的対抗原理としての自然概念の重要性を見ても、自然的神性と自然的救済論の思想の射程と影響力の大きさが確認されるのである。
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