中世の神道にかんする最近の研究を包括的に回顧してみると、あらためて感じられたことは、個々の事象に関する研究にはさまざまな成果があがっているのに、それらを意義付け、位置付ける全体的な構図、思想史的な構想の研究がきわめて少ないということである。もちろん、それは、非常に困難な知的作業であり、それなくしても個々の歴史的事象の研究も差し当たりは可能であるから、無視されているといってもよいだろう。しかし、個々の事象の研究が蓄積されてくるに従って、このような欠落は、無視しがたいものとして、立ち現れてきている。それを無視することができるのは、おそらくそのような知的態度が習慣として身についてしまったからであろう。このような知的状況は現在の思想史研究の重要な課題の在処を指し示しているといえよう。 このような状況を克服するにはどのような知的営為が求められるだろうか。近年の神道研究、一部の仏教研究の特徴は宗派、教派という組織を固定化したものと捉えるのではなく、その相互影響や連続的な特質に注目してきたことにあるだろう。すなわち、従来、対立するものとして捉えられてきた神と仏を、神仏として結び付けて理解することが、この転換を象徴的に示している。しかし、このような態度は構成の教派組織による分断を否定したが、それに代わる新しい分類概念を提供したわけではない。したがって、蓄積された業績を踏まえて、その中から新たな概念、視点を生みだし、思想史を構成するに足る基盤を作り出していくことが求められている。 そのためには、宗教、道徳、政治、社会といった領域で問題を捉えるのではなく、それらの根底にある基本的な世界理解として倫理思想を追究することが重要な課題となってくる。研究の現状は、そのような根本的な研究の必要を示唆しているのである。
|