1)前年度に引き続き関係文献の調査・収集につとめた。資料採訪した主な図書館は、国会図書館、内閣文庫、東大図書館、国立天文台図書館、大阪府立図書館、龍谷大学図書館などである。殊に龍谷大学図書館、国立天文台図書館などにおいて関連文献を調査した結果、円通の講釈の記録など他処では見られない文献を調査・収集することができた。 2)円通『仏国暦象編』(1810)の批判書としては、伊能忠敬『仏国暦象編斥妄』(1817)や小島涛山『仏国暦象弁妄』(1818)が有名であるが、これに国立天文台蔵『睡餘漫筆』(1822)を加える必要があることが今回の調査で判明した。本書は『仏国暦象編』を逐条的にに引き、「蓋渾周髀須弥ノ曲説ヲ混合シ傍ラ己カ妄言ヲ交ユ」などと反駁している。 3)幕末の神道家賀茂規清は、円通は80歳近くまで須弥山説の講釈を行っていたという。その時の筆録が講解と名付けられて一部現存している。これは講演の筆記であるから、必ずしも完全に記録さているわけでもなく、また話としても必ずしも整序的ではない。しかし、庶民へどう流布したかを考察する際には、重要な文献であり、その内容の分析・検討は今後の課題として残った。 4)幕末になると護法運動は、時代の趨勢を受け、護国や神儒仏の三道鼎立を打ち出すことになるが、幕末から明治にかけての護法運動、廃仏運動への抵抗は、キリスト教浸透を防御しようとする破邪思想という新たな展開をみせる。来日キリスト教宣教師たちが伝道上活用したのは、中国伝道プロテスタント宣教師たちの書物で、そこから地理・歴史・科学などの西洋の新知識が学び取られたがために、仏教界は警戒したのであった。この中国わたりの西洋新説に地球概念と地動説があり、須弥山宇宙論の観点からこれを批判した。
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