研究概要 |
1900年代初頭のドイツおよびイタリアの思想状況は、(1)西欧諸国に対抗し、独自の国民国家を形成するための国家主義、(2)西欧型個人主義、民主主義思想、(3)第一次ロシア革命の影響による社会主義思想が入り込む。これらの思想に対して、いわゆる《自由主義者》は、一定の距離を保ちながら、リベラルな思想を展開することがでた。しかし、1920年代に入ると、《自由主義者》は復古的な思想にとらわれてゆく。 今年度の研究においては、ドイツの教育学者エルンスト・クリーク(1882-1947)、イタリアの思想家ジョヴァンニ・ジェンティーレ(1875-1944)を取り上げて分析をした。彼らは、いずれもカント哲学の影響力が退潮して行く時代の中で育ち、ヘーゲル哲学に依拠する《自由主義者》であった。彼らの根本的思惟構造は弁証法であり、理念的なものを現実的なものととらえる。そのコロラリーとして、共同体(Gemeinschaft, comunota)としての国家が理念的なものとなり、また現実的なものとなる。そして、最後にはプラトン以来の伝統である「国家が個人に優先する」という国家哲学を、政治的スローガンとして掲げるようになった。 このように彼らの立場が、思弁的な自由主義から、行動的なショーヴィニズムに転じて行く要因として、1920年代の政治的・社会的状況を見逃すことのできない。しかし、彼らの思想構造それ自体の中に、所与の現実を安易に肯定するロジックが、最初から組み込まれていたと考えるべきである。
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