首里城正殿の彫刻の形態や様式を、意匠として解明することを目的とする。 正殿の意匠は基本形や細部の様式は中国系の建築様式や禅宗様式が応用されているが、建物全体との兼合いによってアレンジされているものと、正殿独自の形態として工夫されているものとがある。 建物の基壇や階段の高欄部分は、石造であることから造りや組み方に、また龍や獅子像の意匠にも基本的に中国の影響があるが、基壇の持送り石には禅宗様式が取り入れられている。また高欄にも禅宗系の意匠が活かされているが、末広がりの階段とその高欄に取り組まれている龍の柱は独自な形態をとっている。この意匠は、琉球王朝の美意識の表れとして、非常に重要な位置を占める。 建物においては、屋根の入母屋造りに唐破風という日本建築様式を取り入れ、それに付随する意匠も禅宗様式という日本化されたものが活かされている。また屋根の棟飾りなどの龍の意匠は、中国に見られる様式をとっているが、単なる意匠としての取り入れ方ではなく、建物と一体化した形態をとってお、正殿に独自の存在感を与えている。 首里城正殿は中国的なものと見られてきたが、比較研究をした結果、基本に中国の様式をとりながらも日本化された様式を融合させ、それを琉球化させた独自なものとなっていることが解明できた。 この独自性は琉球王朝の型や形であり、王朝の思想性や美意識につながっていると思われるが、時代の変遷のなかで諸々の事情によって、その形態や様式が崩れてきたと推察する。 上記の調査研究のなかから建物と他の意匠との関連性から究明した過程をまとめたが、正殿のなかの獅子像と歓会門などにある獅子像が首里城周辺にはあるが、まだ比較研究が行われていない。獅子像については沖縄県民には特に関心があり、今後の調査研究をする必要を感じた。
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