1・モダニズムの絵画論において、今日でも多々引用される、モ-リス・ドニの「新伝統主義の定義」の冒頭部分、「一枚の絵画は、軍馬、裸婦あるいは何らかの逸話であるより以前に、その本質において、ある一定の秩序のもとに集められた色彩で覆われた平面である」という言葉が、いかなる経緯で、フォーマリズム理論にとっての、いわば「教義」として定着したのかを探った。もともと、この言葉は、モ-リス・ドニが19世紀末パリで「象徴主義」の立場を正当化するために1890年に書いたものである。しかし、モダン・アートの発展の末、抽象絵画(非具象絵画)の誕生以後に、イギリスのフォーマリズムの批評家クライヴ・ベルが、1926年、著書『19世紀の絵画の道標』の最終章執筆中に初めてドニのオリジナルのテキストを読み、ドニ自身の意図を越えた形でいわば我田引水的に引用したものであることが判明した。ドニの理論をイギリスで初めて紹介したのは、ロジャー・フライである。彼は、1910年にドニ理論を基盤として「マネとポスト印象派展」を企画したが、激しい論争の末、フライ自身はドニ理論から離れて独自のフォーマリズムの基盤を築いた。ベルは、この転向以後のフライ理論を単純化して流布させたのだが、その時にドニの言葉を利用したのである。 2・フォーマリズムに則った「様式史」としての一義的な美術史観が、美術展における展示空間の作り方に現れてくる経緯を検証した。本年度は、特にアメリカの20世紀初頭の展示方法を、主に記録写真と資料から読み解く試みを進めた。今後の展望として、上記1との関連から、イギリスにおける展示空間、特にロジャー・フライが1910年と12年にグラフトン画廊で開催した「ポスト印象派展」の展示空間の検証をも試みたい。
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