本年度は研究の最終年度に当たるため、前年度の研究を継承して、さらに研究の纏めに進むべく、特にアジャンター後期壁画のうち、第1・2窟壁画と同時期もしくはそれに続く時期に描かれたと推定される壁画と、研究対象として最後に残った、前期石窟および後期石窟において、壁画が剥落したり元来壁画が描かれなかったりして空いていた壁面に、さらに時間が経ってから描き加えられた、仏像を主題とする特殊な壁画について、様式を検討した。そして、本年度までの研究結果と総合して、アジャンター壁画全体の中で個々の壁画がどのような相互関係にあるかを明らかにすることに努めた。また5世紀から7世紀に至るまでのデカン西北部の政治史について、現在まで解明されていることを参照しつつ、今日まで不明確であった後期壁画の制作年代を当時の支配関係と絡めて考察した。 アジャンター前期壁画については、1世紀中頃を中心とした比較的短い期間に、サータヴァーハナ朝の支配下で総て制作されたという結論に既に至っているものの、より問題となる後期壁画は次のように考えるのが最も適切であるという研究結果を得た。即ち、いくつかの窟において5世紀半ば過ぎに、古典様式を持った一流画家により後期壁画の制作が開始され、やや遅れて地方画家による2、3の窟での制作も含みながら、5世紀後半に第17窟が開金鑿されて、壁画が古典様式から変化し始め、6世紀初め頃に造営された第1、2窟に至って様式変化が決定的となると同時に、古代説話画の伝統にも翳りが見られるようになったが、その後同じ世紀の前半頃までは様式的に安定していたということである。また今挙げた後期壁画の大半は、ヴァーカータカ朝の支配下で描かれ、最も遅い特殊な仏像壁画は、6世紀後半以降7世紀前半までに別の王朝下で描き加えられたと推定される。
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