アジャンター石窟は、開鑿された時期の違いから前期石窟と後期石窟に分類される。そこに描がれた壁画も、石窟の造営時期と関連して、前期壁画と後期壁画に分けられる。前者は、本格的絵画作例としてはインド最古の壁画と言って良い。ただ他に作例が殆どないため、いつ描かれたかは非常に難しい問題である。しかしアジャンター前期壁画は、作例が豊富に残る彫刻作品と様々な形式を比較することで、西紀1世紀中頃を中心とする時期に描かれたことが類推出来る。これはデカン北西部をサータヴァーハナ朝が支配していた時代であり、同壁画もこの王朝下に制作されたと見て間違いない。その様式は、インド古代の早い時期をしては、ローマからの影響もあってか、かなり高度な段階にまで発達している。 アジャンター後期壁画は、後期石窟の造営に伴って5世紀半ば以降描かれたことが、種々の条件から明らかである。ところが、同壁画がいつまで描き続けられたかに関しては、諸説あって今日まで充分な解明を見ていない。そこで詳細な様式分析を行い、同時に各窟の建築的・彫刻的特色と連関して壁画を捉えることにより、後期壁画は、石窟造営と並行して描かれたものについては、5世紀中葉から遅くとも6世紀中葉までに制作されたと結論付けられる。早期作例の中に一級の画家による古典様式の作例が含まれることは、極めて重要である。それより遅れる作例は、中世様式へ向けての変化がはっきり見て取れる。また付加的に描き足された仏像画の類に関しては、6世紀前半から末頃までに描かれたと見て大過ないと思われる。かかる結論は、デカン北西部における政治的支配の推移と矛盾があってはならない。現在米国の研究者によって強く主張されている、アジャンター後期石窟造営および壁画制作を10年余りの期間に押し込める説は、その点からも完全な誤りと言うべきである。
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