中世末期からいわゆるルネサンスにかけての、祭壇彫刻をはじめとする彫刻一般の彩色に関しては、今日の審美的観点からは解明し得ない諸々の問題が存在する。そのひとつが伝統的な彩色技術と、その継承を支えるシステムとしての工房の問題である。さらに彩色をもって彫刻の完成とみなす、当時の一般的な社会通念を忘れてはならない。その意味で無彩色の彫刻、とりわけ社会的ランクの高い祭壇彫刻における無彩色は、革命的なものであったが、たとえば無彩色彫刻の創始者とみなされるリーメンシュナイダーの場合でも、彼の工房で制作された彫刻の中には、彩色像も多く含まれることから、無彩色を選択する基準がきわめて複雑で、いわゆるケース・バイ・ケースであったことを窺わせる。 またリーメンシュナイダーの、一般に無彩色と呼ばれるいくつかの祭壇彫刻を詳しく検証すれば、ニスの色や光沢、あるいは部分的彩色など、個々に少しずつ違いの見られることがわかる。彫刻に彩色する場合の「色を塗る」は、"malen"ではなく"fassen"である。無彩色彫刻を、複雑な手順をすべて踏んだ極彩色の"fassen"から、その間の手順を簡略化したモノクロームの"fassen"への移行と考えれば、彩色像と無彩色像の間の越えがたい溝をわずかでも埋めることになるのではないだろうか。この問題に光を与えるべく、"fassen"の技術についての詳しい考察を、『ドイツの祭壇彫刻の彩色に関する考察』(研究発表の項目参照)において試みた。 目下のところ、彩色技術の問題と関連して、さらにリーメンシュナイダーの工房についての考察を進めているところである。工房がどのような形で注文を受け、どのようなプロセスで制作していくのかを解明することにより、彩色の占める位置もおのずと明らかになるはずである。
|