京都外国語大学研究論叢51号(平成10年9月30日発行)に発表した論文『技術と工房の問題』では、中世末期におけるドイツのツンフト(Zunft、ギルド)の実態と変化について考察した。ツンフトとは本来地域の職人の利益を保護し、製品の材料を支障なく調達するための組織である。従って彫刻家と画家は、異なった材料を使用するゆえに、別のツンフトに属していた。画家のツンフトに対して、彫刻家(木彫家の場合)は、木材を使用することから、たとえば家具や馬車職人と同一のツンフトに属したりした。いずれにしても画家のツンフトに彫刻家が参加することはほとんどなかったわけである。しかし15世紀末頃には、画家のツンフトが、彫刻家を自分のツンフトに迎えようとして、馬車職人のツンフトと争った事例が知られる。この事例の場合、当事者は、彫刻家と画家を結びつける概念として“Kunst"(必ずしも今日的な芸術の意味ではないが)をかかげた。 一方1977/78に行なわれた、ミュンナーシュタット・マグダレーナ祭壇に対する徹底的な修復及び調査の結果、リーメンシュナイダーの制作した祭壇には、ローテンブルクにある聖なる血の祭壇と同様、褐色の透明ラッカーが塗られていた可能性が出てきた。このことにより、当該祭壇がもともと無彩色を最終段階として制作された可能性が強くなった。木にラッカーを塗るということは、材木に光沢と高級感を与え、さらには光の反射によって、彫刻表面のデリケートな彫りを目立たせる効果をもたらす。そこに、金箔による圧倒的な聖性の演出とは異なった新たな美意識の芽生えを見出すことができる。上に略術した論文の結論は、いみじくもリーメンシュナイダーの事例と呼応するように思われるのである。
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