後期ゴシックのドイツにおいて無彩色祭壇が登場した理由及ぶその背景について研究を進めるにあたり、一貫して、ミュンナーシュタットにあるリーメンシュナイダーの<マグダラのマリアの祭壇>を対象として考察してきた。当祭壇が記録に残る最初の無彩色祭壇だからである。近年実施された当祭壇の徹底的な修復調査の結果、一口に無彩色と呼ばれている状態にも、実はさまざまな差異や段階が含まれることが明らかになった。それとともに古い彫刻が、その後の時代の経過の中で、実にさまざまな種類及ぶ程度の修復を受けたため、成立当初の姿を取り戻すこと自体、不可能に近い状況であることも痛感された。 しかしながら本研究の目的に照らしてみるとき、出来るかぎり正確な当祭壇のオリジナルな姿を復元する作業は必須であった。それに続いて、<マグダラのマリアの祭壇>を出発点とする、無彩色祭壇の展開の様相を観察する作業に取り掛かった。その場合にも、それぞれの祭壇の正確な修復記録を資料として用いること、及び資料の適正な解釈が必要とされた。この作業により、無彩色祭壇が最終的に、何を目標としたかについて、明確な見取り図が提供できたと思う。 またこれら一連の地道な作業と並行して進めていた、より普遍的な社会的背景の研究、すなわち祭壇制作のプロセス、美術工芸品の市場、宗教改革と深くかかわる宗教的及び美的感性、等々の諸問題は、無彩色祭壇の受容の経過で、根本的な重要性を持つようになると思われる。しかし研究を終了した時点で、これらの問題を有効な切り口として、研究課題の解決と結びつけることが出来なかったことを反省し、今後の課題としたいと思う。
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