カ-ル・ラートゲン(1855-1921)が日本の社会・経済問題に触れている文献を蒐集し、その日本観の特徴づけをおこなった。とくに、ベルリンの週刊誌『ナツィオーン』に掲載された「日本人の国民性」という評論には、日本人の内部にさまざまな異質性が孕まれていることが指摘され、封建制の残存物と功利主義とが明治期の日本人の精神を彩っていることが論じられており、小篇ながら多角的な分析がみられる。 また、東京(帝国)大学における政治學講義録は、彼の国家論を包括的に展開したものであり、それはヴェーバーの国家論・封建制論とも深い関連をもっていることが判明した。ヴェーバーは、封建制というものを、家産制の専制権力が各種下級権力や小領主たちによって簒奪されていくところに形成発展するものだととらえている。それは、ラートゲンをはじめとするアジア封建制史あるいはヨーロッパ封建制史の研究者たちの諸成果を踏まえ、さらにそれを比較社会学の立場から類型化したものだったのである。 こうしたラートゲン=ヴェーバー関係を探究するとともに、ヴェーバーの『ヒンドゥー教と仏教』のなかの日本論の読み直しを手がかりとしながら、ヴェーバーの資本主義精神論の洗い直しをおこなった。すなわち、資本主義創出過程における非合理的宗教的契機の歴史的意義を再確認しつつ、後発諸国の資本主義化においてはそうした非合理的契機は必要ないことを主張した。そして、日本において資本主義化を促進した要因として、封建的関係意識が功利主義と混在して維持精神を形成したこと、近世において育まれてきた目的志向的倫理観(ライシャワー)が立身出世主義へと転換したこと、石高制と村請制(とりわけ後者)によって、近世農民層のあいだにはつよい教育志向が生み出され、大衆的規模において知的水準の向上がみられたこと、この三点を指摘した。
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