本研究は、日本近世(江戸時代)社会に豊かに蓄積さきてきた学習の方法や文化を解明することによって、生涯学習社会へのシステムシフトをめざす現在への視点を得ようとするものである。今年度は、近世後期に大衆層へ他に類例がないほど広く浸透した石門心学の「学び」の方法とその発展を考察した。論文「マスローグの教説-石田梅岩と心学道話の「語り」-」がその研究成果である。 すなわち梅岩の学問の学習は、経書を学ぶ正統的な学びではなく、様々な講釈を聴き巡ったこと、つまり目ではなく耳を通じた口話からする学びであった。それは経書を媒介とする当時の学問の学びを否定し、口話によって学問が構成できることを積極的に主張したものであった。梅岩の後継たちは、書物よりも集団での口話や講釈によって学習する方式を定立した(会舗)。そして梅岩の講釈を発展させて、道話という独自の教化スタイルを確立した。それは心学のパフォーマンスともいうべき語りの一ジャンルをなした。従来では教化の対象になりえなかった無文字の民衆への教化が、道話によって可能になった。それは、道話という「語り」によって無文字の大衆の学習が可能になったことを意味する。 次に近世の学習の場であった私塾や寺子屋が、近世文化史的空間のなかでは、決して学校的な教育機関ではなく、文化史的な諸芸(茶の湯・立花・碁・謡曲・浄瑠璃等々)の稽古塾と並列的なものであったことを論じ、それらは「学問塾」「手習塾」と称すべきことを論じた(論文「『私塾』と『学問塾』」)。 また「方法としての日本近世教育史」(日本教育学会全体シンポジウム報告論文)において、近代学校教育制度に規定されてきた近代以後の教育学を、日本近世教育の学習の多様性や全体性(豊かな学習文化)の立場から批判した。
|