本研究は、江戸時代の学習方法を具体的に分析し、それが同期の知識人の学習論にいかに言説化されているかを確認するとともに、その文化論的意味をさぐることを目指して行われた。 多くの庶民が文字学習した手習塾(寺子屋)の学習の実態を明らかにした。手習塾では、文字を読むことより、文字を書くこと、しかも上手に書くことを目的にしていた.「手本」を模範にしてそれをひたすら真似て繰り返す学習である。それによって子どもは文字を覚えるだけでなく、生活に必要なあらゆる文書の様式も習得することを目指していた。学習の大部分が自習で行われ時々教師が点検する。したがって一斉教授ではなく、徹底して個別学習であった。手習塾は、文字を書くあらゆる技術学習の場であったから、学校教育機関ではなく、当時庶民の文化的教養を形成した諸芸稽古塾の一種とみるべきものである。 一方、儒学は経書を読むことに徹した学習であった。まず子ども時代に行う「素読」によって、主な経書を音読し暗誦した。それは近代の読書とは異質な身体的な読書、いわば「テキストの身体化」と捉えることができる。次の「講義」は経書テキストの意味を理解する課程である。それは口頭で一斉教授する近代の「レクチャー」とは異なり、やはり個別学習で行われた。次の会業の課程は集団で漢籍を読み意味を理解する学習である。 こうした学習方法の原理は、貝原益軒の著作に言説化して見出される。益軒は多くの平易な学習書を著わして、学習意欲をもつ庶民に学問を開放する役割を果たした。そこでは身体を通じた模倣と習熟による学習方法の原理が説かれている。つまり益軒は心の自律性に疑念をもち、むしろ身体的な規律化によって心の規律化をはかり、具体的な「礼」の習得にその可能性を展望していた。それは伝統的な「しつけ」や職人の「わざ」の伝承にも通底する教育の論理とみられ、近代日本の規律的な社会や学校の規律主義にもつながる文化的な伝統とみることができる。
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