本研究は、ドイツ連邦共和国において1960年代後半以降行われた学校(特に公立学校)の民主的改革の歴史的背景を、この一連の民主化政策の指導的人物であったヘルムート・ベッカーの活動と理論に注目しつつ解明することを課題とするものである。研究の結果として明らかにできた主要な知見は以下の通りである。 1. ドイツ敗戦後から弁護士活動を行っていたベッカーは、学生時代からの親友で田園教育舎ビルクレホーフ校校長ゲオルク・ピヒトとの関係を契機に、各種の私立学校の法律顧問を務め、さらには南西ドイツにおける私立学校法の制定にも少なからず関与した。この時の体験が後の教育政策家ベッカーの思想と活動の原点に位置づいていた。 2. ベッカーは、私立学校との関係に加えて、市民大学連盟、フランクフルト社会研究所、精神分析学協会といった文化・学術団体とそれにかかわる思想家との邂逅と対話を通して、「自由な人間」=「自律的人間」の形成を基本とする教育思想を構築した。さらに、彼は現代の学校が、この「自律的人間」の形成を阻害する「管理された学校」ないし「調教施設」と化していることを指弾し、この「管理された学校」を「自律的な学校」へと転換するための教育政策理論を展開した。 3. ドイツ教育審議会の主要な勧告は、いずれもベッカーがその主要部分の起草に直接関与することで成立したものであり、しかもそれは「管理された学校」から「自律的な学校」への転換というベッカーの教育政策理論を基調とするものであった。
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