第1年度の現代教育哲学(児童中心主義、経験主義、発達心理学系教育理論)にみる存在論への傾斜批判と倫理的考察の欠落への批判を踏まえて、第2年度に行ったのは倫理的問いと実践への要請に関する理論的裏付けである。本年度の研究において前年度の研究成果を修正・再構築する必要があったのは、経験主義等の現代教育学理論の「主観性」「特殊・個別主義」ともいうべき価値観の批判と抹殺されていたに等しい「道徳哲学の復帰」という状況に論理的基盤を据えることに安住していては不十分なのであり、「ポストモダンの条件」における「倫理意識の危機」から将来した世界的・宇宙規模的「激動」を焦点に据えて教育倫理を考察することの再認識である。この間わが国では、前期中等教育段階にある少年たちが学校環境周辺で犯す殺害等の犯罪、反社会的問題行動が頻発するようになり、中央行政政策立案サイドでも「心の教育」と称し、21世紀の社会を担う青少年にたいする精神面、情緒面の教育を力説するようになっている。それは教育心理学や宗教的次元の超越論的言説を提示することで、心の教化だけを単独に考えて十分であった「道徳教育」の時代の終焉を意味するものである。新しい時代的変化と課題のなかにある青少年および人間のエチィカは、そうした旧来の教育実践原理とは異なり、現代社会の抱えている科学技術の高度発展から招来した社会変化と人間生存の危機という、この時代的現象の全体像の直視から初めて解決の糸口がつかめるであろう多元的・学際的な基礎考察を土台とする教育倫理学の必要を顕示する現象であり、学際的理論基盤を応用駆使してこそ初めて成立をみるであろう21世紀型の「教育エチィカ」への要望である。このことは、教育をめぐって、新しい意味での倫理的要請や価値教育の要請がはじまっているということであり、その理論的構築には多くの専門分野の角度から緊急に取り組まれる必要がある。 本年度の研究では、こうした新しい倫理的考察で活況を呈している(ドイツとともに)フランスの文献を厳正に紐解く作業に徹しながら、哲学一般の新生倫理学にみる言説にとどまらず、大人とか、人間ではなく、子ども、親、生徒、教師といった固有の存在を無視できない教育の実践原理における、それら新生倫理の活用とそこから興される教育独自の教育倫理学の構築可能性をさぐってみた。この作業を陳腐な常識論に止まらずに推進することはかなり困難で、残されたもう1年間を十分に使い試論を打ち立てたい。
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