1.「二重学年制」とは、一年進級制を前提にして同一学校の同一学年に学年始期を二つ設けるもので、「雁行級」とも称されて、日本では1909年(明治42)から一部の府県、小学校で実施された。ドイツから採り入れたと思われるこの制度は、4月から8月の間に生まれた満6歳の学齢児童を9月に入学させることで、その分早く卒業させると言う経済的効果を狙ったものであった。 2.他方で、満6満学齢児童の入学時における、いわゆる「早生まれ」児童の心身発達格差に伴う負担の軽減も期待された。学校現場では就学率の上昇に伴う、学級編成の方法もテーマになっていた。この時期は、義務就学4年制から6年制への移行期であり、多くの市町村では校舎・教室不足と教員不足の対策に追われており、それに拍車をかけるようなこの政策は、歓迎されなかった。 3.「二重学年制」は、小学校では1941年(昭和16)の国民学校期まで存続し、中等学校ではその後も法的には実施可能の状態にあったが、実施は皆無であった。それより以前中等レベルの学校でこれを実施したのは、初等・中等一貫校(11年制)の女子学習院(官内省所管)であった。その間全国で最高時でも16校程度であったが、大正期に児童の「個性尊重」理念からこれを導入したのが富山県富山市であり、私立成城小学校であり、女子学習院であった。 4.以上の点から見れば、この「二重学年制」導入の政策は失敗であった。しかし、「画一的」と言われる日本の学校制度に風穴をあけたものとしては、意義があったと言えるであろう。
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