当時の剥落止め処置剤としては、フノリ・膠・どうさ・乾性油が考えられる。当該研究の中心を修復の時代と施工者の記述がある紀州東照宮の絵馬に置き各地の絵馬の修復方法を調査した。当時の修復の考え方や技術、更に彩色技法等について分析した。裏面などの記述から、修復に携わった絵師はすべて紀州藩の御用絵師だった。当時の絵師にとって修復とはどういう位置ずけにあったのだろうか。同じ絵師によって修復された絵馬でも絵具の剥離状態が大きく異なっている。すべての絵を洗い流し、自分自身の作風で新たに描き直したと思われるものは、現在も状態が良好である。しかしもとの絵を尊重して修復を行なっている場合、もしくは剥落止め処置が行なわれた場合は、絵具の剥落が著しい傾向にある。これは、修復方法や仕様に起因するものと思われる。また絵師の修復に対する技量についても問われるところがあると思われた。 近世における修復の考え方や技術、彩色技法等について分析した結果、修復方法には描き直しと剥落止めがあることがわかった。描き直しには、もとの絵を洗い落とし新たに描き直したものと、剥落部分を上から描き直したものが存在した。剥落止め処置は、修復時にもとの絵や文字の残存状態の良い部分に施したものと、絵具を落ちにくくすることで、完成した絵の上から膠やどうさ等を塗布したものがあった。 また絵馬の修復は画面だけに施されたものではなく、額装の新調についても確認できた。また、修復に使用する樹脂の選択を誤った事例では、剥落止めのために塗布された樹脂が黄褐色に変色しその上樹脂の縮みにより絵具が引っ張られ、カ-ル状に剥離していた。他に描き直された事例としては、本来膠絵で描かれていた画面に油絵の具で描き直されたものがあった。
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